鉄道開設百年 成田区のあゆみ 展示委員会

鉄道開設百年 成田区のあゆみ 展示委員会 明治30年、成田鉄道開業から昭和47年に至る成田運転区とSLの歴を写真入りで紹介と、戦中、戦後、激動の時代を生きた国鉄マンの生涯

形式 C五七昭和十二年生れの二C一テンダー機で、急行旅客用として名を知られています。成田線には昭和三十三年から姿を見せ、四十四年三月十五日、東京都心最後の蒸気機関車として見送りをうけ、成田上野間の最後をかざりました。写真は鉄道開設百年を記念...
14/10/2022

形式 C五七
昭和十二年生れの二C一テンダー機で、急行旅客用として名を知られています。
成田線には昭和三十三年から姿を見せ、四十四年三月十五日、東京都心最後の蒸気機関車として見送りをうけ、成田上野間の最後をかざりました。
写真は鉄道開設百年を記念して成田へと走るC571号機です。成田のSL保存会から提供されて、『成田線を走ったSLたち』に展示されました。

形式 C五八 ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計されました。愛称はシゴハチで、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、431両(国...
14/10/2022

形式 C五八
 ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計されました。愛称はシゴハチで、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、431両(国鉄向け427両(樺太庁鉄道向け14両含む)、天塩鉄道・三井芦別鉄道向け各2両)が製造されました。
 成田区には所属されませんでしたが、当線の最後をかざった組に属します。

形式 C五一 鉄道院が1919年(大正8年)に開発した、幹線旅客列車用の大型(のちには中型)蒸気機関車です。当初は18900形と称したのですが、1928年6月にC51形と改称され、「シゴイチ」の愛称で親しまれました。 国産初のパシフィック機...
14/10/2022

形式 C五一
 鉄道院が1919年(大正8年)に開発した、幹線旅客列車用の大型(のちには中型)蒸気機関車です。当初は18900形と称したのですが、1928年6月にC51形と改称され、「シゴイチ」の愛称で親しまれました。
 国産初のパシフィック機(二C一)として、又初の一七五〇ミリ動輪を使用した缶でもあります。成田には昭和二十九、三十年に尾久区より借り入れ使用、三十一年福島一区より借り入れ翌年成田所属となったのですが、三十三年二月に佐倉へ転出、関東最後のC五一となりました。このうちの一八〇号は鉄道博に出品されました。
写真は1940頃に撮影された、お召し列車で使用された車両だとのことです。

形式 C五五C51形の後継機種の製造が計画され、最初に設計されたC54形(1931年)は、ボイラー圧力の高圧化と過度の軽量化に起因し空転を頻発するなど、乗務員からの不評が殺到し、わずか17両で生産が打ち切られてしまいました。各線で不足する旅...
14/10/2022

形式 C五五
C51形の後継機種の製造が計画され、最初に設計されたC54形(1931年)は、ボイラー圧力の高圧化と過度の軽量化に起因し空転を頻発するなど、乗務員からの不評が殺到し、わずか17両で生産が打ち切られてしまいました。各線で不足する旅客列車用機関車を補うべく設計されたのが本形式です。本形式は、C54形の失敗を教訓としつつ棒台枠を採用するなど、より新しい技術を取り入れたものでした。内地向けには1935年(昭和10年)に製造が開始され、3次に分けて合計62両が製造されました。六十余両あり、そのうちの二十一両が流線形でデビューしています。
 このうちの二両、ナンバー三十九と四十が成田区に配属されたことがあり、上野成田間で使われました。昭和二十五年に普通型に改造されています。珍しい流線型の車両がWikipediaにありました。

形式 八六二〇大正三年製一Cテンダー機です。 当時の運輸状況では小型で急行列車も牽引可能な旅客用機の需用が多かったため、九州・関西・東北・奥羽の各線でも使用できる機体として、輸入されていた8800形などを参考に国産の8620形が導入されまし...
06/10/2022

形式 八六二〇
大正三年製一Cテンダー機です。
 当時の運輸状況では小型で急行列車も牽引可能な旅客用機の需用が多かったため、九州・関西・東北・奥羽の各線でも使用できる機体として、輸入されていた8800形などを参考に国産の8620形が導入されました。その数は六八七両にのぼりました。
 成田区には昭和四年三月に配属されて以来、千葉鉄の主力機関車として活躍し、その性能の良さ、使い良さに名声をとどろかせました。なお、成田線最後の蒸気機関車となったものも本線式の機関車した。

形式 C五〇形日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車で、シゴマル、シゴレの愛称で呼ばれました。 昭和四年以降に八六二〇形の改良増備機として製造された一Cテンダで、その数一五八両にのぼる。八六二〇...
06/10/2022

形式 C五〇形
日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車で、シゴマル、シゴレの愛称で呼ばれました。
 昭和四年以降に八六二〇形の改良増備機として製造された一Cテンダで、その数一五八両にのぼる。八六二〇の改良機でありながらその性能は八六二〇より悪く、本線での使用度もはるかに少く、かきられた線区にのみ使用されなかった。
当成田線でも上野成田間にしか使用カーブでの脱線が多かったそうで、成田区でも苦労した缶と云う。

形式 C一〇 第一次世界大戦終結後に深刻な不況に陥った日本、能力不足と老朽化が顕著になった明治時代製のタンク機関車の代替に迫られたのですが、不況のせいで経済性や効率性を重視した機関車の製造が求められました。そこで、昭和五年、都市近郊旅客列車...
06/10/2022

形式 C一〇
 第一次世界大戦終結後に深刻な不況に陥った日本、能力不足と老朽化が顕著になった明治時代製のタンク機関車の代替に迫られたのですが、不況のせいで経済性や効率性を重視した機関車の製造が求められました。そこで、昭和五年、都市近郊旅客列車用として製造されました。
 軸重がやや大きく、地方線区での使用に難があったため製造は1回のみで、1930年に全23両が新製されただけで、以後の増備は軽量化を施したC11形に移行しました。
 成田線では成田~千葉間に主として使用され、いわゆる千葉チョンのダイヤを受持ち、成田向が定位でした。ターンテーブルを使用せず、機関車の付けかえだけで折り返えし運転が出来る特性があったので、この様なダイヤには適していたわけです。

形式 C一一 老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年(昭和5年)に設計されたC10形の改良増備機として設計・製造されました。日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した過熱式のタン...
06/10/2022

形式 C一一
 老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年(昭和5年)に設計されたC10形の改良増備機として設計・製造されました。日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車(タンク機関車)です。
 本形式はコンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、その総数が381両に達するという、有数の成功作となりました。また、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされ、国鉄最後の新設計制式蒸気機関車となったE10形まで引き継がれ、その面でも大きな成功を収めた形式でした。
 新橋駅日比谷口のSL広場に保存されているのはC11の292号機で、人々に親しまれています。

29/09/2022

昭和四十七年、鉄道開設百年を記念した成田運転区による記念誌「成田区のあゆみ」(大貫晴美著)を基にWikipedia 情報と写真を加えて構成し、成田鉄道以来の成田線を走った蒸気機関車を紹介するページです。

形式 二一二〇明治二十二年に輸入されたC一タンク機でB六と呼ばれたもの。製造はダブス、シャープ、スチュアート、ノースブリテッシュで一七一両ありました。成田線では、成田佐原間の客貨車、成田我孫子間の貨物列車に使用されたもようです。二一〇〇形(...
29/09/2022

形式 二一二〇
明治二十二年に輸入されたC一タンク機でB六と呼ばれたもの。製造はダブス、シャープ、スチュアート、ノースブリテッシュで一七一両ありました。
成田線では、成田佐原間の客貨車、成田我孫子間の貨物列車に使用されたもようです。
二一〇〇形(AC形)の性能が良好であったため、官設鉄道(1897年より鉄道作業局)では1898年(明治31年)から1905年にかけて、同形で動輪径が若干異なる2120形(鉄道作業局時代は2100形と同じく「B6形」とされた)を、ダブス社とシャープ・スチュアート社、1903年に両社とほか1社の3社合併で成立したノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社(NBL社)で計258両製造させ輸入したほか、10両を自身で製造しました。
日露戦争の開戦に伴って戦場となった満州で兵站輸送のために、同形車を大量に製造させたのですが、官設鉄道からの供出車との振替えにより内地で使用されたものもあったそうです。

形式 一〇〇〇成田線が国有になると間もなくやって来た缶ですが、昭和二年にはその姿を消しています。イギリス型ドイツ製二Bテンダー五三五〇の改造機で、三十六両全部がタンク機化されました。小型軽量な割に牽引力に優れていたことから、当時勃興しつつあ...
29/09/2022

形式 一〇〇〇
成田線が国有になると間もなくやって来た缶ですが、昭和二年にはその姿を消しています。
イギリス型ドイツ製二Bテンダー五三五〇の改造機で、三十六両全部がタンク機化されました。小型軽量な割に牽引力に優れていたことから、当時勃興しつつあった地方鉄道の建設用、開業用に払下げが行われ、輸送実態にも合致して長く愛用されたそうです。

形式 八八五〇八八〇〇形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が輸入した、幹線旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車です。1912年6月に運行が開始された日本初の「特別急行列車」を牽引した機関車の1機種でもあります。明治四十四年、ドイツの...
29/09/2022

形式 八八五〇
八八〇〇形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が輸入した、幹線旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車です。1912年6月に運行が開始された日本初の「特別急行列車」を牽引した機関車の1機種でもあります。
明治四十四年、ドイツのボルジュヒ会社から輸入した二Cテンダーでこの機関車の特徴は第一動輪を主動輪としていることであす。一時は房総方面の主力機と入れかわったのですが、前方見とおしの悪いのが有名な機関車でした。

住所

Narita-shi, Chiba

ウェブサイト

アラート

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